ついに明けてしまいましたね。
こちらにいるとあまりお正月という気もしませんが。。 クリスマスの頃から年明けまで父が来ていて、ビルバオ&バルセロナに3泊だけ いってきたので、ノルウェーとは前後しますが、このお話を。 これが更新が滞っていた理由です。 ノルウェーの件はまた後日。 ビルバオ 主な目的は、フランク・ゲーリーのグッゲンハイム美術館。 1991年から計画され1997年に完成した、ゲーリーのヨーロッパの中では 一番大きい作品。 有名なので何度も写真でみたことはあったが、実際自分の感覚で持って体験するというのは大事なことである。 空港(これもおもしろい。後述)から街行きのバス(たった1.1euro)に乗ると 高速を通ってほどなくして、このゲーリーの作品でもってまちに迎えられる。 川を渡ると街なのだがその橋の両側を美術館が陣取っているような状況だ。 着いたのが夕方であったので、この日は街をそぞろあるいて終わる。 ビルバオは独立運動をしていたバスク地方に属し、フランスにも近い。 人々は気品に溢れ、一般的スペイン人よりも背も高く、フランスの血がまじっているのかなと思う。(このようなことはのちにいったバルセロナと比較して思う) 夜レストラン探しに困る。この街ではイギリスでいうパブ、イタリアでいうバールのような店が多く、夜7時にしてもみなお茶を飲んでいるか、ビールを飲んではいても、おつまみをつまむ程度のことでいっこうにご飯を食べ出す気配がない。レストランは開いていてもがらがら。さすが、昼寝をするスペイン人。夜も遅いんでございますね。地元の人が集うようなカフェテリアで赤ワイン1杯と魚関係のおつまみを頂いて、結局ホテルのレストランで食事。スペインの物価(ミラノよか断然安かった)にしてはかなりの高級レストランだったでしょうね。 ちなみにカフェテリアでは赤ワイン二杯、おつまみ5品(ひとつひとつは小さい)で8ユーロでした。安いよね。 しかし今1ユーロ=146円とか。。。このままいけば、生きていかれません。。。 二日目の天気も一日目に続きあまり良くない。 朝からグッゲンハイム美術館へ。 大人10ユーロ、学生7ユーロでオーディオガイド付き。いいよね。 日本語はなかったけど。そういえばビルバオでは日本人はほとんどみなかったなあ。 珍しいことです。 入ったとたんに大きな公共空間。そして大きな展示室。 そのすべてがゲーリーの独自の形態によって成り立っており,(一番大きな展示室はけっこう単純な直方体に近いけれども)こういう形を考えることがあっても実際にそれを建築として実現させた彼はすごいのだなと思う。 写真や図面などだと少し異様な感じがする形態も、その中に身をおくとすごく自然のものとして感じるのが不思議であった。良質の素材をつかっていることも一つの要因だと思われる。公共空間と展示スペースは互いに開かれており、客に取っていやすい空間ができている。随所にベンチがあったり、外部に出られる開口部があったりして、おちついて建築全体を美術館全体を楽しめる作りになっている。 現代美術を扱っているので展示内容もおもしろく、体験型のものがあったり色とりどりのものがあったり、子供も十分に楽しめる。 内部の撮影は禁止であったので外部の写真を一枚。 常設展示もさることながらJorge Oteizaの展示は良かったと思う。 それまで全く知らなかった人物だが、彫刻家というのかな造形家で建築のような仕事もしているひと。 詳しくはサイト http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles/exposiciones/las_exposiciones.htm で。 地域に密着し地道な創作活動を展開した人が評価されるべきであると思う今日この頃。 それに矛盾するようだが、私は多くの国、街を見せてもらいだからこそ出来ることもおあると思う。 『建築家なしの建築』を書いたB.ルドルフスキーはウィーン生まれのアメリカ人で イタリアに6年住んだことから『人間のための街路』を、 日本に二年すんだ経験から『キモノ・マインド』を書いた。 机上の研究に没頭する研究者があるなかで彼のような、享楽主義的な( 享楽主義とは快楽に溺れることとは違い、日々の中で精神的に感覚的に充実させることを願い、物質的にはむしろ質素で生活を楽しむ工夫をすることをいうと『建築家なしの建築』を訳した渡辺武信はいう。)人物の体験は貴重であり、私が彼のように偉大であるかは別として、何か共通の感覚のようなものをおぼえる。 話がそれるようだが、以前私は、私は一生一人で生きてゆけると信じている人間であった。その思いは自分の普通でない性格に起因していると思っていた。 そして同時に、この普通でない私こそ普通でない何者かになれるのではないかと 心の片隅で思っていた。なんともおごった考えである。よくも悪くも自分は特別であると思っていたのだ。なぜこのような思いに至ったのか、きっと家庭事情などから一人でいる時間が比較的長かったし、私の両親の教育というのも常に個人主義を尊重するようなところがあった。(多くの意味でそれは素晴らしいことで、良かったと思っている) しかし、ここ最近の生きにくさのなかで、なぜこんなにも自分は生きにくいのかと自問自答したとき、そしてまだ詳しくかけてはいないのだが、ノルウェーで彼とその家族に迎え入れられた時のなんともいえない安心感とあたたかさ。そこには何の不安もないような、無理をせず自分の出来る範囲のことをしてゆけばそれでいいのだというような雰囲気が自然に感じ取られる場所の中で、私は遂に気が付いてしまったのだ。 私にずっと欠けていたのは家族であったと。いや家庭と言うべきか。 母が生きている間私はずっとよくできた子であった。学業がというのも去ることながら、常に精神的安定がそこにはあり、自分の能力を十二分に発揮出来る土壌がそこには合った。中学校まで学業はかなり基本的であり、そこまでは学業はふるってもそののち振るわなくなることは一般的にもあることで、その全ての理由をここに集結させることはできないし、そんなことは一種のセンチメンタルに過ぎない。 しかし、知らないうちにそういったものから隔離され、それを当たり前だと思わなくてはならない環境になっていた。高校時代はいつも心の中にポッカリと開いた隙間があり、たばこをすってみたり、いつも違う男の子とほっつき歩いてみたりした。 そんなことが自分のこころの隙間をうめる何の足しにもならないのを悟ったのは、随分あとだ。その当時から多くの時間を読書や映画鑑賞に割いてきた。こういった時間は常に有意義であったし、いまも大事にしたいと思っている時間である。 ノルウェーの彼は私を家族に紹介してくれ、彼らにも本当に良くしてもらった。 このことが私たちの将来に対してどういう意味をもつかなんて今のところ分からない。けれどもこういうことを気付かせてもらい、また純粋にあたたかい気持ちになり、将来への不安というよりも、なんの心配もなく自分の出来ることをやっていくという土壌にたてた時間をもたせてもらったことに、感謝したいし、そういう安らかな気持ちを共有出来る彼と将来一緒にいることができたら素晴らしいなと素直に思う。 また旅に感謝。 私が今興味を持っていることにスローフードがある。 イタリアから始まった運動で、単にファストフードに対抗すると言う狭義でなく、 地元のワイン・食を守り それを支える小規模生産者をまもり またそのための味の教育をする 言うのもだ。日本にもスローフード協会はできているし、 今や運動は全世界的に広がっている。今会員は全世界で7万人以上らしい。 スペインのなかなか始まらない食事にも、家庭ということにも共通しているのだが、 誰かと食を共にするということは大事なことである。 家族って多分一緒に食事するって意味なんだと思う。 血が繋がってなくても家族は大いにあり得る。 私の高校時代は3食とおして一人ですることも多かった。 それはかなり悲しいことであったように思う。 かくいう私は今も一人で生ハム(パルマ)&赤ワインをつつきながら これを書いている訳だが、上記のようなことが理解できた分、 そして地域に密着したものを口にできている分、悲壮感はない。
by motolina
| 2005-01-02 22:40
| 旅
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