1月5日、6日とアルプスのほうへスキーにいってまいりました。
いやー、さいこーだった。 やっぱ自然のなかでのスポーツが一番! とりあえず滑ってるって段階で、明かに前より下手やが。 もうちょっと上達するとたのしいやろなー。 上達のためにはみっちりしごいてもらうのがなによりやろなー。 機会があればやりたいもんや。 しかし、ここでは5月頃まで滑れるとのこと。 日本で言う北海道の感覚かな。 また今シーズン中にいきたい。 またノルウェーで滑るって手もあるし。 今気付いたけどさっきからスベルスベル連発で、受験生のみなさんすいません。 今日本はそういうシーズンですね。 ま、受験生でこれ読んでる人はおらんと思うねんけどどうでしょう。 さて、昨日からわが町ではsaldiセールが始まりまして、 この時期はここに住んでてほんとよかったと思う瞬間でございますね。 昨日かっちゃいましたよ。さっそく。スーツを。うふ。 今度日本でいるんで。 これはファッションのページにかこっと。 で、今日は大人しく家でべんきょーしてます。 レポートの最終まとめ 今何をしなければんらないかを明らかにしています。 何をしなければならないか、何をしたいかが決まれば あとはこっちのもんですからね(誰との勝負や?) 進むのみです。 さて題名。 自分を総動員することですが、 最近思うに、 自分を総動員できる仕事(べんきょーでもいい) を出来るというのはかなり幸せなことで、理想的なことかもしれないなあと 思うのです。 たとえば、私は今日本に建築のレポートを書いているのだけれども これが、essattamente(正確に)建築のレポートなのかというとフメイです。 ちょっと異色かもしれません。 なぜなら、今私がヨーロッパにいて思うことなど、かなり折り込まれているし そう言うの抜きにしても、やはりこちらにいて 日本をながめることとかが自然にはいりこんでいるからです。 例えば、jamiroquaiいいなーと思って、 デビューアルバムを買った訳ですが、 そこで彼らは自然破壊や反戦について訴えている。 それはレイチェルカーソンが自然破壊に対する警告をおこなったように 形は違えど、方法は違えど根本的に同じことを言いたい訳です。 地球上で人間がもっとも危険な生き物で、同じ種の親兄弟をも殺し合う戦争 ってことをしている。それはものすごく侮辱すべき、そして浅はかなことだって。 そう言う思いは、建築とも決して切り離されたことではないはずです。 日本における産業廃棄物のほとんどは建築土木の分野から排出されているわけで、 そのことを考えずにはおられないし、 美しい自然のなかに、建築家がエゴのかたまりのような建物をつくってみたり、 それによって生態系をみだしてみたり、さんざんじゃないっすか。 よって自分が興味を持ったことは、実は全てがつながっていて、ひとつひとつは別々にみえても、実はそうではないんだと言うことです。 同じような言い方で、自分が今まで歩んできた人生、その一つ一つ 回り道して一見無駄に見えることでも、無駄なことなんて一つもないと言うことです。もちろんそれは一時一時をしっかりと、一生懸命に生きた場合に限ると思いますけど。今なんだか自分は無駄なことをしてるんじゃないないかって思う人も、 それが自分でよく考えてした決断であったならば、決して無駄ではないはずです。 というか、そのことが無駄でないように今後の人生を歩めばいい。 たまに、女性は子供を生んだりする時に何年か(人によっては何か月か)仕事を休むことになるかと思いますけど、そのことについて、時間の無駄をしてしまうとか、 キャリアが遅れるとか言う言い方をすることがあります。 確かに,一見して今までしてきた仕事の側面だけから見るとキャリアの中休みに見えるかもしれない。しかし、実際にはそれによって広がる世界もある訳で、人間的には明らかに成長するでしょう。というかそうでなきゃやってられませんでしょう。 今の日本の空気は、そういう“遅れ”(と彼らは呼ぶ)を許さない空気にありますね。許したとしても、それが明らかに評価される状態にない。大きな視野で物を見れる人をほしがらない傾向があります。それは、仕事ができないとされる人に対する態度にも出てきます。それは体に障害がある人に対する態度にも出てくるんじゃないでしょうか。彼らに対して、健常者と物理的におんなじことを求めて、それをおんなじ基準で評価するというのはおかしなことだと思います。 就職活動用語で第二新卒と言うのがあるらしいですが、就職して一年二年目のまだどこの企業にも染まっていない人らを新卒と同じように取ることをいうらしい。 日本企業はほんとうに“染まってない”って言うのが好きですね。 ハッキリ言って、それはバージン好きとおんなじ理論であると私は思います。 征服欲でしょうか。つまり自分に自信がないんでしょう。 他での経験を生かせるぐらいの土壌がないと宣言しているようなものです。 ま、そのかわり何にも知らない人間に20万ほどの給料と様々な保証を与える訳ですから大したものですが。 もっと広い器で人を雇える会社が増えればいいのにと思いますが。 ま、大手では無理でしょうね。 これからはフレキシブルな中小の時代です。 フレキシブルであるということは、知的であることの必要条件であると思う今日この頃です。フレキシブルは私の辞書だと臨機応変と訳されます。 いくら知識があっても、マニアル人間は私の中で決して知的な人間ではありません。 みなが自分の能力・興味・性格を総動員して仕事が出来る状況が少しでも増えれば、 ある一定の枠に自分をはめることができず、社会参加を半ばあきらめている人間にも活路は開けて来るんじゃないんでしょうか。 無理せずに、自分のままで、それが評価される時代を望みます。
by motolina
| 2005-01-09 00:33
| 徒然なるままに
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